NUMBER GIRL
- メンバー
- 4人
- 掲載している機材
- 76点
サポートメンバーを含む場合があります。
NUMBER GIRL(ナンバーガール)は、1995年に福岡で結成された日本のロックバンド。向井秀徳(ボーカル、ギター)、田渕ひさ子(ギター)、中尾憲太郎(ベース)、アヒトイナザワ(ドラム)の4人編成で、2本のギターを軸にしたオルタナティブ・ロックを鳴らした。1999年5月にシングル「透明少女」で東芝EMIからメジャーデビューし、2002年11月30日の札幌PENNY LANE 24公演をもって解散。2019年2月に再結成して活動を再開し、2022年12月11日のぴあアリーナMM公演で再び解散した。
結成は1995年。福岡を拠点に自主企画のイベントやライブハウスへの出演を重ね、カセットテープの音源を自主制作するところから活動が始まった。1997年11月6日には1stアルバム『SCHOOL GIRL BYE BYE』を発表し、1998年8月20日にはシングル「DRUNKEN HEARTED」をリリースしている。こうした自主制作・インディー期の作品を経て、メジャー契約に至った。
1999年5月26日、シングル「透明少女」で東芝EMIからメジャーデビュー。同年7月23日には2ndアルバム『SCHOOL GIRL DISTORTIONAL ADDICT』を発表した。9月22日のシングル「DESTRUCTION BABY」以降は、アメリカのプロデューサー、デイヴ・フリッドマンが制作に関わるようになる。同年12月16日にはライブ盤『シブヤROCKTRANSFORMED状態』をリリースし、デビュー年のうちにアルバム・シングル・ライブ盤を立て続けに送り出した。
2000年は5月31日のシングル「URBAN GUITAR SAYONARA」、7月19日の3rdアルバム『SAPPUKEI』、11月29日のシングル「鉄風 鋭くなって」と続いた。『SAPPUKEI』はデイヴ・フリッドマンが制作を手がけた作品で、「BRUTAL NUMBER GIRL」「ZEGEN VS UNDERCOVER」「SASU-YOU」などを収録している。2002年には3月20日に「NUM-AMI-DABUTZ」、4月8日に「I don't know」と2枚のシングルを続けてリリースし、4月26日に4thアルバム『NUM-HEAVYMETALLIC』を発表した。代表曲としては「透明少女」のほか、「OMOIDE IN MY HEAD」「EIGHT BEATER」などが繰り返しライブで演奏されている。
活動期間中の音源は解散後も継続的にパッケージ化された。最後のライブとなった2002年11月30日の札幌公演は『サッポロOMOIDE IN MY HEAD状態』として2003年1月29日にリリースされ、2005年には3月2日にベスト盤『OMOIDE IN MY HEAD 1 ~BEST&B-SIDES~』、6月22日にライブ音源『OMOIDE IN MY HEAD 2 ~記録シリーズ 1~』『同 2~』、9月28日に映像作品『OMOIDE IN MY HEAD 3 ~記録映像~』が続いた。2014年6月18日には『SAPPUKEI 15TH ANNIVERSARY EDITION』が発売され、リマスター音源とライブ音源の2枚組で、マスタリングは再びデイヴ・フリッドマンが担当している。
2019年2月15日、オリジナルの4人での再結成とライブ活動の再開が発表された。再結成後の初ライブは同年7月27日の新宿LOFT公演。8月18日には「TOUR『NUMBER GIRL』」の一環として日比谷野外大音楽堂に立ち、2002年5月以来となる同会場での公演に約3000人を集めた。この日のセットリストはインディー期の楽曲から『NUM-HEAVYMETALLIC』までを横断し、「OMOIDE IN MY HEAD」「透明少女」「EIGHT BEATER」などが演奏された。同公演は9月29日にWOWOWで放送されている。再結成の動機のひとつは「RISING SUN ROCK FESTIVAL in EZO」への出演であり、2022年の同フェスへの出演を経て、8月13日に再びの解散が発表された。ラストライブ「NUMBER GIRL 無常の日」は2022年12月11日、ぴあアリーナMMで行われ、この公演の模様は後に映像作品としてリリースされている。再結成期には2019年7月24日『感電の記憶』、2022年4月30日『記録シリーズ』といったライブ音源も発表された。
サウンドの中心にあるのは、向井秀徳と田渕ひさ子による2本のギターと、中尾憲太郎・アヒトイナザワによるリズム隊の組み合わせである。向井自身、ギターが2本ある編成であることを重要な要素として挙げている。日本語詞と語りに近い発声、静と動を切り替えるダイナミクスが楽曲の骨格になっており、デイヴ・フリッドマンが関わった『SAPPUKEI』『NUM-HEAVYMETALLIC』では、それ以前の作品とは異なる音像が作られた。
機材面では、向井秀徳はテレキャスターを長く使い続けており、フェンダーの取材によれば、テレキャスター以外は使わなくなったという。ライブでは60年代仕様のリイシューの赤いテレキャスターや、American Elite Telecaster Thinlineを使用。NUMBER GIRLの活動初期にはメンバーの姉から借りた白いテレキャスターを使っていたが、ネックを折って使えなくしてしまったという経緯も語られている。トレモロアームを使う場面ではストラトキャスターを持つこともあった。フェンダーの企画では、American Vintage II 1951 TelecasterやAmerican Vintage II 1972 Telecaster Thinlineを試奏している。
田渕ひさ子はジャズマスターを主軸に据えており、65年製の個体を20年以上にわたって使い続けている。それ以前はジャガーを主に使用しており、ジャガーとジャズマスターのボディ形状が身体に馴染んでいるため、他の形のギターは弾きづらいと話している。ジャガーは自宅での練習やレコーディングでも使われてきた。その後はMade in Japan Hybrid 60s Jazzmasterも使用しており、フェンダーの企画ではAmerican Vintage II 1966 Jazzmaster(Dakota Red)を試奏している。
中尾憲太郎はプレシジョンベースを好んで使うベーシストで、引退したバンド仲間から譲り受けた1990年製の国産プレシジョンベースを『NUM-HEAVYMETALLIC』のレコーディングで使用した。福岡時代はジャズベースを、リハーサルではフェンダーのBass VIを使っていた時期もある。ピックのニュアンスやアタックの出方を重視した音作りが特徴。ベース・マガジンの機材紹介では、アンプにGallien-KruegerのFusion 550ヘッドとAguilarのGS412キャビネットを組み合わせ、ベースにCrews Maniac SoundのNPBやMosriteのVentures Bassを使うことが取り上げられている。Y-UPでも、Tech 21のSansAmp Bass Driver DI V2、Demeter AmplificationのVTBP-201、OrangeのBass Butlerといったプリアンプ系や、EarthQuaker DevicesのPalisades Mega Ultimate Overdrive、Westwood、Avalanche Runなど、足元に並ぶ機材を確認できる。
アヒトイナザワはCANOPUSのエンドーサーで、ドラムキットにR.F.M.、スネアにZelkova Snare Drumを使用している。CANOPUSからはシグネチャー・スティックCP-AI(直径13.8mm、長さ410mm、ヒッコリー、塗装なし)も発売されており、汗をかいても滑りにくい未塗装の仕上げと、グリップ寄りに重心を置いた設計が特徴とされる。Y-UPでは、このほかBlack Nickel Brass II BB2-1465やBirch Snare Drumといったスネア、TAMAのSpeed Cobra 910などの登録も見られる。
メンバーはそれぞれ別の活動も行っている。向井秀徳は2003年にZAZEN BOYSを始動させ、映画音楽も手がけている。アヒトイナザワは解散後にZAZEN BOYSへ参加し、2005年にはギター・ボーカルとしてVOLA & THE ORIENTAL MACHINEを始動、その後BEYONDSでもドラムを叩いている。田渕ひさ子は2002年にtoddleを始動し、bloodthirsty butchersにも加入した。中尾憲太郎はCrypt Cityでの活動のほか、ART-SCHOOLや浅井健一&THE INTERCHANGE KILLSにも参加し、プロデューサーとしても活動している。